問1 | 指示語「こうした循環」の指示内容を説明する問題である。 【着眼点】 下線部「こうした循環」が指す内容は、タンザニアでのモノの流通を説明した直前の段落(第2段落)全体で説明されている。特に第2段落の末尾に「モノは……変化を遂げながら、社会の中で循環してきたのだ。」とあるので、「こうした循環」とは、タンザニア社会における「社会の中で変化を遂げながらのモノの循環」のことだと要約できる。 第1段落では、日本社会での「循環型社会」や「持たない暮らし」の考え方が簡単に説明されたうえで、それ「とは異なる世界観で成り立って」いる、タンザニア社会の考え方を提示するとして、第2段落につないでいる。したがって、日本社会の「持たない暮らし」について説明した用語を使って本問に答えることは不適切である。 以上のことを踏まえて選択肢を検討する。 ア(誤)「モノの融通や共有」、「ICTを利用」などの語句は日本社会の考え方の説明である。 イ(誤)「資本主義経済の進展で失われた『つながり』やコミュニティの再興」も、日本社会の説明になっている。 ウ(誤)モノが「贈与によってはじめて入手可能」とまでは書いておらず、誤り。タンザニアでもモノが購入されたり買い戻されたりすることは第2段落に記述がある。なお「商品を購入する能力が不足している」の部分は、循環が起こる原因として下線部の直後に書かれており、間違いとはいえない。 エ(正)「寿命限界までリユースやリサイクル」、「贈与や転売が繰り返される」、「様々な人の所有物へと変化」は、いずれも第2段落の内容に合致している。 |
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エ | 4点 | ||
問2 | 傍線部「モノの価値は、使用価値だけでなく、モノの社会的履歴に伴って変化する交換価値によっても決まる」を言い換える問題である。 【着眼点】 傍線部は第5段落冒頭にあり、その具体的な説明が後に続いている(第5段落~第7段落)。 万年筆の例でいうと、「ものを書く行為に使える」が使用価値、「文豪のものだったので皆が欲しがる」が交換価値となる。文豪が使っていたという事実(社会的履歴)によって、モノの価値が変化することが第5段落では説明されている。 第6段落ではより一般的に、モノは一時的に誰かの所有物となったり、また売り物になったりすることが説明される。前者が「個人化・人格化」で後者が「商品化」である。「ひとたび誰かのものとされたモノが再び商品化される」という記述が、「社会的履歴に伴って」の説明となっている。 第7段落冒頭の「元の所有者や関係者のアイデンティティがモノに付帯する」は、第6段落の「モノにまつわるさまざまな関係性が埋め込まれ」や「モノの履歴に関係する人びとのアイデンティティを帯びる」と同じ事態を表している。これが「モノの交換価値が変化する」ことの具体的な説明である。 指定された二つの言葉を含むように、文中の表現を生かして答える。 |
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(例) 元の所有者などのアイデンティティが付帯することにより、再び商品化されるときに価値が変わる | 7点 | ||
問3 | 傍線部「日本では、恋人からもらった手編みのマフラーを誰か別の人に贈ったり売ったりすることは忌避されがちだ」の理由を答える問題である。 【着眼点】 傍線部は第9段落冒頭にあり、その直後の文が「それは……からだろう」という形式で理由の説明になっている。そこで、本文のまま抜き出した「そのマフラーにマフラーを編んだ恋人の思い、すなわち魂が込められているように感じられるから」という説明を基礎にして検討する。 ア(正)「編んだ人の人格が憑いている」は段落中に同じ表現があり、傍線部の「魂が込められている」の言い換えと言える。また「関係性を断つことを意味する」も同じ段落の「恋人への執着と決別する」に相当し、適切な説明である。 イ(誤)本文によると、「彼/彼女らしさ」は、デパートで選んだ商品にさえ付帯しているのであって、「手編みのマフラーには編んだ人の」という限定がやや不適切。また「人格そのものを否定」は本文に記述がなく、誤り。 ウ(誤)「編んだ人の思いが込められており」は本文のとおりで正しい。手放すことが「裏切りであり慣習的にも法的にも不当」は本文に記述がなく、誤り。 エ(誤)「編んだ人の魂が宿って」は本文のとおりで正しい。「そもそも手放すことができなく」が本文に反して誤り。手放すことが忌避され、躊躇されると言っているのであり、できないとは言っていない。 |
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ア | 4点 | ||
問4 | 傍線部「所有(私的所有)と他者への贈与や分配を対立するものとみなす」を言い換える問題である。 【着眼点】 傍線部は第11段落冒頭の文の一部分である。そしてこのような「対立するものとみなす」議論に「再考を促す」ものとして、次の文の「すなわち、……と言えるのだろうか」という筆者の問題提起がある。したがって本問では、筆者の立場からは疑問を提示されている(再考の対象となっている)考え方の説明が求められていることに注意する。 「所有(私的所有)」と「他者への贈与や分配」が対立するとは、ここでは「私的所有をしているなら贈与や分配はしていないし、贈与や分配をしたならもう私的所有はしていない」という主旨だと考えられる。すなわち、この二つが両立することはありえない、という考え方である。 四つの選択肢はどれも「○○に対し、△△」という形式になっているので、「対し」の前後の内容を比較して、傍線部の主旨からはずれるものを消去していく。 ア(誤)肢の主旨は「私的所有されたモノは分配ができないが、贈与や分配されたモノはさらに分配ができる」。再分配できるかできないかを対比させている点で誤り。本文にもそのような記述はない。 イ(正)肢の主旨は「私的所有されたモノには排他的権利があるが、贈与や分配をすると権利が失われる」。排他的権利と権利を失った状態は両立不能であり、対立している。この考えに疑問を投げかけ、贈与や分配により手放したモノも依然として元の所有者に帰属しているのではないか、とするのが筆者の立場(第11段落以降)である。 ウ(誤)肢の主旨は「私的所有のためには労働が必要で、労働せずに贈与や分配されたものは私的所有とは言えない」。労働が必要か否かで対比している点で誤り。本文にもそのような記述はない。 エ(誤)肢の主旨は「私的所有には身体のなかに閉じ込められた自己が必要だが、贈与や分配をするには自己と身体の同一視が必要」。「身体のなかに閉じ込められた自己」と「自己と身体の同一視」は最終段落に出てくる語句だが、どちらも同じ意味であり、そもそも対比になっていない。 |
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イ | 4点 | ||
問5 | 傍線部「私的所有に失敗することを『損失』とみなし、贈与や分配を『利他的な行為』であるとみなす必然性はどこにもない」について、筆者がそのように考える根拠を説明する問題である。 【着眼点】 傍線部は、最終段落(第13段落)の冒頭の文の後半部にある。同じ文の前半部に「元の所有者がモノを媒介として財を譲り受けた者たちに働きかけていることを前提にすると」とあり、これが後半部の根拠になっていると言える。 また「元の所有者がモノを媒介として財を譲り受けた者たちに働きかけている」と同じ事態を表す表現が、第11段落の「贈り物をエージェントにして受け手に働きかけ続ける元の所有者」という記述である。そのような所有者は、「その贈り物の所有権を放棄したと言えるのだろうか」(=いや、言えない)。なぜなら、「そのモノはいまだ持ち主に帰属している」と言えるからである。 指定された二つの言葉を含むように、文中の表現を生かして答える。 |
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(例) 元の所有者がモノを媒介として受け手に働きかけているならば、そのモノはまだ元の所有者に帰属している | 7点 |